HIDAY'SのStory
1983年。
HIDAYはマネージメント兼シェフとしてアメリカの会社にヘッドハンティングされアメリカに渡る。
テキサス・ヒューストンでも彼の料理は地元で取材を受け、多数のメディアからも注目される。
100$札を手にした客が彼を指名するというおもしろいエピソードも。

しかし、当時の彼の料理はテキサスBBQではなかった。

そんな彼は自分の店とは違う別の店で、本場のテキサスBBQと出会い感銘を受ける。

そして、ジャンル外ではあったがテキサス料理に興味を持ち、料理の勉強に没頭。


『オリジナルを伝えたい。』


アメリカで感じた「アメリカの温かさ」を、料理を通じで日本人に伝えたと思い始め、
日本に帰国し『アメリカと日本の掛け橋に』という発想で、
大阪ミナミのアメリカ村に1998年店をオープンする。

アメリカ村という顧客が定着しにくいエリアで彼の店は、
気難しい外国人の気持ちをそそり、6割以上が外国人客というにぎわいを見せる。

また、アメリカ村の店のオープンと同時にボランティア精神で宣伝カーを使ったケータリングを、
若者と外国人でにぎわう大阪キタのクラブ街で開始。

利益を度外視したまさにボランティアといえるリーズナブルで本格的な味わいの料理は、
若者の心と空腹の胃袋を満たし、年の離れた彼を慕うようになる。夜の街でも彼は人気者であった。

彼の料理は過度な派手さのある料理ではなく、あくまでもナチュラルテイスト。
本場の味をそのまま提供する彼の料理に「日本風にアレンジ」というエッセンスはない。

「お客のみなさんに評価におまかせします。」というオーナーシェフのHIDAY。
彼の押し付けない自然そのままのスタンスが心地よい空間を生み、客の足を店に向かわせる。
料理の味はもちろんだが、客は彼に会いにくるのだ。

にぎやかなエリアを中心に活動していた彼だが、今回、店を大阪港に移すことを決断する。
戦前に建てられた歴史あるレンガの倉庫と静かなベイエリア。
まるで横浜みなとみらいを彷彿とさせる、
「大人の隠れ家」というキャッチが似合う絶好のシチュエーションでも、
彼のスタンスとテキサスの味は変わらない。

異国の雰囲気の中、本場のテキサスの味を味わうなら、
この店は絶対に外せない。

そして、今日もまたの料理と彼に会いに客がやってくる。



大阪港に拠点を移したHIDAY'Sにて           
僕の大好きなスーパーバーガーを食し、
       ビールと彼の魅力に酔いながら…。

N.Hajime(取材・Photo)